精神病を患っていても生きていかなきゃいけないタウリンのblog

うつ病、解離性障害、精神的な原因で慢性的な疼痛を患ってます。養生しています。傷病手当とか、病気を患って知った制度とか、苦労話をします。親との不仲、というか…あまり良くない事も語っていますのでご注意ください。

病気について

こんにちは。タウリンです

いろいろ語ろうと思います。

その前に注意喚起しようと思います

 

自傷行為に関して

親、弟との不仲

その他、不快感・嫌悪を催す可能性があります

ご注意ください。

 

 

 

幼い頃

 

さいころから内向的でよくいじめられてました。

父は酒乱で気に入らない事があると殴る蹴るは普通でした。

弟も自分も、後から聞きましたが母も父からの被害にあってました。

 

そんな親なので反抗期の時期反抗したくても

恐怖の方が大きく反抗しませんでしたし

出来ませんでした。

 

高校を上がる直前に親は離婚

父は出ていきました。

 

高校2年あたりから

リストカットアームカットは日常

高校では精神病院に行きはじめ、オーバードーズ(OD)もしていました。

さらに解離性障害が出て、自殺未遂もやってましたし

他の自殺するような人格を出さないようにするのにも

必死でした。

 

母は精神病は待てば治る、みたいな見守る系です。

しかしそれは期限みたいなモノがあり

高校を卒業して2年、働かない自分にバイトでもいいからと

面接に行くことを強要されました。

母も女手一つで自分と弟を養っていたので苦労も分かりますが

どうしようもなかったのです。

 

 

手術とそれから

19歳の時、精神病とは別の手術しなければならない

病気に罹ってしまいました。

 

原因は不明でした。

肺に膿が溜まっていたらしいです。

 

あと数日、手術しなければ死んでいたと後に聞き

死んでしまっていた方がよかったのではないかと

たまにふと思います。

 

その時元恋人であるココアさんとはその頃にはもう逢っていました。

その人とはネットで知り合い、仲良くなって

逢ってから10年以上関係が続きました(歳がバレる…)

その人の親もいわゆる毒親

同じ関東に住んでいたのですが、県が違うだけでも遠距離な感じでした。

その人が自分の県に住み始め、母に頼み込んで自分の実家住まいしてました。

 

数年たって、自分とココアさんは実家を出て家を借り

住み始めたのです。

 

 

自身の中の解離性障害と母の事

 

その頃は仕事については、腕を切ることもせず

ある種あきらめもあってやってました。

 

あきらめっていうのは

…うーん上記にもあるんですが

母親は待てば治るでしょ?みたいな人なんですよね

 

…いや、違うかな…もうなんか、苦悩とか苦しい想いとか

そういうものとかを、「そういうもの」として

あきらめて受け入れて、頑張れみたいな…

 

病院は行かせてもらえますよ?

否定もしませんし、最低限協力もしてくれます(病院への送りとか) 

 

でも、母は病院とか、カウンセリングで治らないって心で思ってて

自分が気が済むまでやりたい事をやらせて

「もう十分やったでしょ?」「そろそろ動きなさい?」

 

つまり、十分休んだから普通になりなさい。みたいな…

 

理解してくれてるのかなって思ってましたけど

違ったんですよね、母は自分の病気とか調べたりとか

そういうのも無かったですし。

 

母にとっては自分は、いつまでも甘ったれたガキなんですよ。

 

 

 

実家を出て母と弟からのストレスから解放されて

ココアさんと好きな時間に好きに暮らせるっていうのが最高でしたね。同居してた時、家賃みたいに母にお金は払ってたんですよ。

自分もココアさんも。でも冷蔵庫の食べ物とか、勝手に食べるな、みたいなオーラがあって居心地悪かったんですよね。

実際、同居してた時よりお金はかかりますけど、それでも開放的なのは代えがたかったです。

働いてお金があったから、微々たるものでも貯金があったから引っ越せました。それは嬉しかったですね。

 

あきらめっていうのは、腕を切っても「仕方ない」っていうあきらめですね。

 

何にもないって、誰にも伝わらないんです。

心の痛みって。少なくと自分はもそう感じてます。

 

その行動や考え方が完治というかは、わかりません。

リスカもアムカもしなくなりました。

 

人格は保護が中にいます。その人や自分で

危ないのは出ないようにしてます。

でたらココアさんが止めてました。

ココアさんも多重でした(年季が違います)中の統括とか共存の仕方とかはココアさんから教えてもらったのが大きいです。人格が完全に出ない様にするのは無理ですけど大体ココアさんといましたから

でも、結局はココアさんに害がある危険が居て、別れましたけどね。僕はその人格を知らなかったんですよね、ココアさんでも抑える事ができなかった危険人格。 今は僕もその人格を認識してます。でも、ココアさんとは一切関わらないと約束をお互いにしました。

 

人格の話に戻ります。仕事中に出たりした時は焦りましたね。

気が付いたら家に帰ってる最中っていう

 

大体体調不良で無理に仕事してるのに見かねて

保護が帰るみたいな感じ。後で話しを聞くとそう言ってました。

 

長くなってるので人格についてはこんな感じ

 

あ、読んでる方の中には

「こんなの解離じゃない」って言われるかもですけど

そんなこと言われてもって感じです。

 

解離に関しては人それぞれ症状が違うでしょうし

判断が難しいとされてます。

 

一応、自分は障害年金を申請するにあたり

高校の頃に行っていた精神病院の「受診等状況証明書」を書いて頂き

その書類に解離性障害の病状記載があります。

 

お医者さんの診断ですので自分は疑われても…という感じです。

 

話を戻しますと、元恋人ココアさんとの生活

ひいては実家からの干渉の無い、生活を守るため

働きました。働いていましたが…

上司のパワハラモラハラを受け、

同僚もきつくて、病んでしまいました。

 

 

痛み

 

自覚症状は痛みでした、右わき腹に痛みが出たのです。

最初は筋肉痛のような痛みでした。

しかし治らず、知らずに肋骨でも折れたかと

(以前肋骨を折ったことがあって、その痛みに似てた。

咳のし過ぎで折れちゃう事もあるらしい)

 

なので、以前肋骨を折った時に病院で買わされた

コルセットを付けて仕事をしてましたが

治るどころか痛みは増していって、ついには痛みによって

眠れなくなり、朝も起きれなくなりました…

 

最初は整形に行き、CTやレントゲンに異常はなく

行きついたのは精神科でした。

 

自分は自覚がなかったのです。

昔病んでいてもこんな痛みはなかったのに

精神の負担で体のどこかに痛みが発症すると。

 

それから仕事を休み、そのまま退職。 それからは傷病手当を頂きながら一年半休んでました。 ココアさんとは2020.6月の下旬。日記にもあるかな 別れました。 ココアさんが出ていくまで実家に頼って、出て行ってから借りている家に帰りました。 生活保護の申請の為に動いて、8月11日に申請、無事に受理されて頑張って生きています。 実家の事をかなり悪く書いている記事もあるなか、こんな時に親に頼るのかと言われそうですが、悪い親ではないです。精神病に理解が出来ないだけです。 いや、理解してるんですけど、精神病を患って働けない自分を親は養っていけないから厳しい事を言ってくるだけなんですよ 僕に生きていかなきゃいけないよと言ってるんです。親がいなくなった先を心配しての言葉なんです。 それがわかるから僕は生活保護という選択をしました。 日常生活だけでもきちんと送りたい、けど病気の疼痛、鬱、対人恐怖で浮き沈みが激しい中、それでもやっていかなきゃいけない…苦しいですね

 

これがタウリンの経緯です。